木曜日の女神さま♡/幸せに生きる♪

50代アラフィフ幸せ妻の美砂が、心豊かに楽しく生きるためのメッセージを綴ります♪

中学時代の勉強とか部活ってなんだったの(^^;)

 「木曜日の女神さま」へようこそ♡
このブログはアラフィフ幸せ妻の美砂が、いつからでも人生を心豊かに楽しく生きてゆく道しるべみたいなものになれたらいいなあーーーと願いを込めつつ書いております♬

 

 

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 ☆この間の自宅レッスン時の恰好♥ トップスのノースリーブニットはデミリーのもので、とっても使いやすいです♪ 下のスウェット地のスカートは レディフォア ザ ウィークエンドので、ちょい長めのタイトスカートです。ヒールの靴とかに合わせると楽ちんなのに、きれいめにみえます♪

 

 

実はこのブログは予約投稿してあるので、その時間には旦那さんと

比叡山星野リゾートにむかってる時間帯だと思われます(笑)

また旅行記書きますねっ(⋈◍>◡<◍)。✧♡

 

 

 

 で、本題だけど。。。

 

中学時代、なぜあれほど勉強しないといけなかったのか。

 

それは、落ちこぼれたら終わり、お母さんに嫌われる、

お母さん、おばあちゃん、お父さん、みんなから

バカにされる、そういう強烈な恐怖があったんだと思う。

 

 

 

小学高学年になったら、運動も勉強も習字もピアノもなんでもできて

いいね、ってみんなからいわれるようになってたけど、

小学生の低学年ころまで、自分は、ほんと、算数が苦手で

あと、動作がのろかったみたいで、そこをものすごく心配されて

そのことが、自分は「このままではだめだ」みたいな恐怖を

うえつけられたんだと思う。

 

 

だって、私の名前がみさで、妹はち○○だったから、

みは全然できんけど、ちはできる、みたいに

私にはわからないと思っているのか、

それとも気づかれてるのわかってて言ってるのか

よくわからないけど、今となっては、

ほんと、比べられて、どんなけ傷ついたかはかりしれない。

 

 

でも、恨んだりする気持ちは全然わいてこない。。。

だって、すごい愛情たっぷりに育ててもらったし。

そこだけは確信があるから、愛情ゆえに、心配になりすぎて、

はじめての子供だし、期待も大きくなって、って感じってわかるから。

 

 

私は家で長年ピアノを教えてるから、愛情深いお母さんって、

ほんと、子供がうまくできなかったりすると、まるで自分のことみたいに

心配するのよく見てるから。

そういう人って、自分と子供がまるで一体化しちゃってる感じで、

悪いことしてるなんて、まったく自覚ないんだよ。 

だからそこを責めることはできないんだ。。。

 

 

それに、中学時代、私はよく母親に「ばばあ」とか言ってたし(笑)

外見の雰囲気と違いすぎて、(周りの人は、めちゃくちゃ私のこと上品だと思ってるんだよね、声を荒げたりしなさそう、って(^^;) 身内とか身近な人にはとっくにドSってばれちゃってるけどね(笑))

それをみんなにいうと、うそでしょ、って笑われるんだけどね。。。

 

 

反抗期があったんだからもう言いたいことはいってるわけ。

母親とか私にボロカスいわれて泣いてたときもあったの覚えてるし(^^;)

虐待とかされてる人って、反抗すらさせてもらえないでしょう。

そういうのじゃなかったから。

 

今は生んでくれて、育ててくれてありがとう、っていう気持ちでいっぱいだよ。

 

 

 といっても、とにかく、落ちこぼれたら終わりみたいな感覚は、

さいころに植え付けられてしまっていたから、

私は中学生にあがると、この地位、この立ち位置

みたいなのを絶対キープしないと死ぬ、みたいな勢いで

三年間勉強し続けた気がする。

 

 

そのころは、テストの成績とか廊下に張り出したりするから

いつも追い詰められてた。。。。

受験前とかになって、男子とか本気で勉強しだすと、

すっごい点数上がるから、

どんどん追い抜かれるし。。。

 

 

あと、部活も別に入りたいのがあったわけでなくて、

 

親が強いからってすすめてきたのに入ったんだよね。

一緒に登校してた二人の女の子の友達も、ソフトボールにするっていうし、

まあ、そこまで嫌っていうほどでもなかったから、

 

 

入りました。。。。こういう選び方も、また、だめだったなあ。。

 

 

やっぱり人は自分で自分のこと決めなきゃだめだよね。

私の人生がどんどん輝きだしたのは、旦那さんと出会えたことと、

自分で全部自分のすること決めだしてからだからね。

 

 

でも、今は勉強のことだよね。

 

あの頃、中学の勉強って、受験のための勉強って感じで、

 

とにかく、覚えて覚えて、って感じで、

 

数学の先生が一人とてもわかりやすく教えてくれる人がいて、

 

わからない問題がとけたときは嬉しかったけれど、

 

まあ、けっきょく、人から落ちこぼれないように、

人より上にたてるように、そんな思想ばかり叩き込まれた気がする

三年間だった。。。

 

 

 

だからね、一回担任の先生に打ち明けたことがあったんだけど、

「こんな勉強してても、将来何に役立つのかよくわからない」

 

みたいなことを、そしたら、めちゃくちゃ悲しそうな、

困ったような顔をされたんで、逆に、

「悪いこといってしまった」

 みたいな気持ちになって、

 

 

だって、私は親に

「どうしたら、こんな優秀に育つのか、教えてほしい」

みたいに担任からいわれるほど、頑張って親の期待通りに

育ってきたのだから、そういう模範的な生徒が、

まさか、そんなわけのわからないこと言いだすとは

思ってもみなかった、んだと思う。

 

 

そんな感じで、私は次の日のノートに

「とはいってもやっぱり勉強することは大事だから、

頑張ります」みたいに書いて提出したら、

「それでいいのです」って書いてかえってきた。

笑える。。。。。

 

 

先生からしたら、そうだろうね。

先生には先生の立場があるからね。大変だったと思うし。

 

 

でも、中学時代の先生で、卒業してもまた絶対会いたいって

思えるような人はほぼいないって、なんか残念なんだよね。

 

 

だから、だからこそ、自分が、絶対また会いたいって

思ってもらえるような人になりたい、って今は思う。

 

 

それはハートだよね。

 

成績とか、運動ができるとか、

 

そういうのとはまったく関係ないところで、

 

 静かに燃え続けている心、ありのままの魂みたいなもの。

 

そこをどれだけ、大切にしているか、

 

私はそういうのを、伝えたいんだ。

 

中学の頃の自分みたいに、苦しんでいた人にこそ。

 

 

 

 

こちらの記事も、わたしの人生ストーリー編です↓ misasaron.hatenablog.com