「木曜日の女神さま」へようこそ♡
このブログはアラフィフ幸せ妻の美砂が、いつからでも人生を心豊かに楽しく生きてゆく道しるべみたいなものになれたらいいなあーーーと願いを込めつつ書いております♬
☆芸術が大好きなのは、母親譲り♪
この記事とか↓
こういう記事読んでくださってたら、、、、
私と母の関係は良好だと思われるかもしれないけど、
実際今は普通に仲良しだけど、
ずっとよかったってわけではなく、もっと若い時期に、
けっこうな確執を乗り越えてきたからこそ、今があるんですよ。
今回は、そのあたりのお話をしてゆきたいと思います。
小さいこと母にされて嫌だったこと
私は3歳からピアノを習ってたらしいんですけど
(そんな小さい時のこと覚えてないし)
母は私にピアノの練習を無理やりやらせてたって言ってました。
いつも練習するのをつきっきりで見張ってて、
嫌がっても絶対させたらしいです。
私はもちろんその頃から母が大好きで、
母の顔色をすっごいうかがっていたでしょうから、
別にしたくもないのに頑張って練習してたんだと思いますよ。
まったく覚えてませんけど(笑)
それで、そのころ通ってた保育園の思い出を
三つくらいだけ覚えてて、
その中のひとつに、
「大きくなったら何になりたいですか?」
という質問についての答えを
みんなの前で発表する場面があったんですが、
「ピアニストになりたいです」と
言ったの覚えてて、そんとき、
本当は、そんなのに(笑)なりたいとは思ってない、ってはっきり意識してたこと、
それを覚えてるんですよ。
とにかく、覚えてるほど
その発言には違和感あったってことですね。
まあ、弾きたい曲ばかり弾いてる今となっては、
ピアノは私の永遠の恋人みたいなものでもあるので、
飽きるということすらなく、、、
だから結果的には習わせてくれてありがと、って思ってますけど。
で、小学生になりたてのころ、
私は勉強が苦手、特に、算数が苦手すぎたらしく、
(これも、ほぼ覚えてないんだけど(笑)
母は私に算数の問題を教えながら、
あんまりできないので、呆れ果てて
「なんでわからないの?????
なんでできないの?????」
って泣きながら教えてたって言うんですよ、
そんなことしたら、子供が不安になるって
わかんなかったのかな、って思いますよね。
さらに最悪だったのが、
妹と弟は普通に勉強ができたので、
それを比べられて、
妹のなまえの一文字がち、で私がみなんで、
わからないと思ってるのか、
それとも、わざと、きかせてやろうと思ってるのか(^^;)
祖母(私の父は養子に来たので、母の実の母)と二人で
ひそひそ話みたいにしてて
「みはできんけど、ちはできる」
みたいに言ってるの、しょっちゅう聞いてた覚えがある😡
そんなこと聞きたくもないし、普通の親なら、
兄弟で比べてはいけない、
っていう意識くらいあると思うんだけど、、、、
そのことは、大人になってから、母に直接、
「すごい嫌だった」って話したことあるんだけど、
「それはおばあちゃんだけが、勝手にいってただけやーん」
「お母さんはそんなこと言ったことないー」
とかいって、自分のしたことは、まったく忘れてるんですよ(^^;)
覚えてるのにしらばっくれてるのかもしれないけど(笑)
だから、何いっても無駄だと思って、
その後は言ってません。
でも、このブログに書いてやった(笑)
そしてもひとつ、鮮明に覚えてることなんだけど、
算数の通知表が2だったことがあって
(昭和時代はまだ2とか1とかあったの(笑)
「2やって、恥ずかしい」
ってもう、ほんと、汚いもの、汚らわしいものでも
みるかのように通知表みながら、
私にむかってそう言ったんですよ、、、、もう
いまでも、トラウマですよ(笑)
トラウマになってる意識はないけど、
なってると思います(笑)
とはいっても、高学年にもなれば自分はどっちかっていうと
勉強も得意になって、、、、(母のおかげかもしれない(笑)
だいたいその頃は中学と違って、部活もテスト勉強もないし、
友達と遊んでばかりで、毎日ほんと楽しかったんですけど、、、
その頃にされたことは、
家で習字の課題とか練習してるとき、
横にいて、つきっきりでみてて、
母親自身が、私が書いた作品に
バレないように手を加えてきたりするんですよ!
さすがに毎回じゃないけど、
私の作品なのに、なんで、あんたが、しゃしゃりでてくるんだ、って
ほんと、ありえない、、、(笑)
図工とかの授業で、絵をかいたらかいたで、
またあとから、バレないように手を勝手にくわえて、
すっごい上手にしあげたりするんですよ、、、
母には、そういう芸術的な才能は少しだけあるんですよ、
まあ、人よりちょっとうまいって、程度ですけどね、、、、
だからといって、小学生の娘の作品に手入れして、
上手に描けた、ご満悦って、、、、
ありえないでしょ、今でも
思い出すとちょっとむかつきます(笑)
だって、それで、先生とか友達から
上手とか言われても(実際言われたし)
嬉しくもなんともないでしょ、
そんなこともわかんないのかな、って思いますよね。
私は息子の作品に手をいれる、なんて、
1000パーセント考えられなかったけどね(笑)
私の子育ては、母とはどっちかっていうと真逆で、
お気楽でしたからね、、、
それに対して、、、、
母はとにかく私を完璧に育てないと
って思ってたらしいです。
そんなこと思われてもほんと、有難迷惑なんですけど(笑)
でも母だって必死で子育てしてるだけで、
悪気なんてまったくないんですよ。
悪気のないまま、母は私に
してはいけないことを、、、
やってしまってたんですよね。
過保護すぎたっていうか、娘(わたし)が失敗することを、
じっと見守ることができなかった、、、、、
大人になってから母に直接教えてもらったんだけど、
私が失敗するのが見ていられなくて、
ぜんぶ時前に取り上げてやってしまって、
私に失敗させてくれなかったらしい、
それが一番私に悪影響として残ってて、
嫌なことや、苦手なことがあると、
すぐ人に頼ったり、依存したりする癖があったり、
精神的に追い込まれると、
ブチ切れたり、パニックになったり、
結婚相手が母親に似て、なんでも完璧にできる旦那さんだったから、
その母親の役を全部旦那さんがやってくれるようになってしまい、、、
自分はいつまでたっても
嫌なことや苦手なことから逃げ出す癖が
抜けないんですよ。。。。
得意なこと、好きなことだと延々とやってるんだけど。。。
これから、もし旦那さんが先に死んだら、
どうやって生きていけばいいのか、、、
ほんと、想像するのがおっくうになるくらいなんです(^^;)
苦手なことにも、少しずつ挑戦してゆくしかないんですけどね、、、、
わかってはいるんですよ。もう50歳なんで(笑)
そのころは、嫌なんて一ミリも思ってなかったけど、
今から思うと、困難を自分で引き受けるような、
苦手なことこそ、挑戦してゆくことが当たり前になるような
教育をしておいてほしかったって一番思ってます。
そんな感じで、、、
中学を卒業するくらいまでは、
母親のいいなり、っていうか、
まあ、いいなりじゃないけど、
「○○ばばあ」とかいって反抗はしてたし、
(そういうのは、めちゃくちゃ、いいことだと思います!
やっぱり、自分を押し殺して我慢するのはよくない)
でも、心理的には、母の希望通り、みたいな感じはずっとありました。。。
母をがっかりさせたくなかったんだと思います。
でも、結婚して子供もできて、
あれは、25から27歳くらいの時だったと思うんですけど、
なんか父と母両方に、
やたら腹がたって仕方ないときが、
勝手にやってきて(笑)
今までいい子で優等生で運動も勉強もなんでもできる
先生の自慢でお気に入り生徒、、、、
そんなふうに、母のお望み通り生きてきた反動が
一気に爆発したみたいな感じで、
とうとう、親との確執がはじまったんです(笑)
ずっと口きかないし、
家にも来てほしくないし、
子供にもあわせたくない、
実家にもいかない、
電話もしてこないで、って言い放って、
それでも腹立ってしかたなくて、
手紙を書いたんだけど、
何回かやりとりしてるうちに、
どんどん気持ちがエスカレートして、
罵詈雑言みたいなのになっちゃって、
最後には、受け取り拒否、みたいなのされて
そのまま封筒ごと帰ってきてた(笑)
みたいなこともあって、、、、
母とやりあう少し前は父とやりあってて(なぜか時間差(笑)
父は妹とは昔からことあるごとにぶつかってたけど、
長女である私とはずっと仲良くて、素直でかわいくて、
一番気にしてたから(旦那さんにそう言ってた)
そんな私にとことん嫌われた、口もきいてくれないってことで
うつ病になったらしくて(笑)
(その頃ちょうど主人の転勤で3年ほど青森にいたし、
関係が険悪だったから、実家にも3年間一回も帰らなかったということで、
そんなことまったく知らず、だいぶあとからきいて知ったんだけど)
今思うと、悪いことしちゃったな、って反省するんだけど、
でもね、そういう、本気で、思いのたけをぶつける、って行為が
もうどんなに大事だったかって、後になって、わかるんですよ。
親に自分の思いを真正面からぶつけることができた、、、、
っていうことが、
それやってないときと、まったく違う
関係の始まりになるの。。。。。。。
長くなったから、この次は続きで書きますね!
☆続き記事です、よろしかったら下の英文字リンクからどうぞ↓
☆令和元年自宅二階にて撮影♪
ここまで読んでくださった方、
いつも読んでくださっている方、
お星さまつけてくださる方、
ありがとうございます♡♡♡