木曜日の女神さま♡/幸せに生きる♪

50代アラフィフ幸せ妻の美砂が、心豊かに楽しく生きるためのメッセージを綴ります♪

今は亡き祖母にたった一度だけ強烈ビンタされたときの痛みをけして忘れない

「木曜日の女神さま」へようこそ♡
このブログはアラフィフ幸せ妻の美砂が、いつからでも人生を心豊かに楽しく生きてゆく道しるべみたいなものになれたらいいなあーーーと願いを込めつつ書いております♬

 

 

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 ☆祖母が亡くなる一年くらい前に、みんなで公園にお花見に行くことができました。いい思い出です♡

やっぱりキレイなおばあちゃん(⋈◍>◡<◍)。✧♡

 

 

今回は今は亡き私の祖母との大切な思い出について書いてみますね!

 

 生まれたときから結婚して家を出るまで

ずっと一緒に住んでいた私の祖母は、

 

96歳で三年ほど前に亡くなったんですが、

亡くなり方がきれいで潔く、亡くなる前日まで

家で自分でごはん食べてました。。。

 

 

祖母はどちらかというと、おとなしく穏やかな人で、

自分のことより人のことって感じで、ほんと、優しくて

 いつも家のお庭のお手入れをコツコツマイペースで楽しんでいて、

 

孫(私含め三人兄弟)も大きくなってからは、

ゲートボールや旅行などして、悠々自適に楽しそうに

近所や地域の人とかともつながってたんですが、

 

 

家を新築して引っ越してからは

家からあまりでなくなりました。

 

やっぱりゲートボールしたくても、

遠いと車で送り迎えとかしてもらわないといけないから、

悪いからって、気をつかったりする人だったんです。

 

 

 

家からあまりでなくなっても

もともととても賢く、生活に色々工夫をこらす人だったので、

川柳とかつくって、新聞に投稿して、

それが、けっこう選ばれてのせてもらえる、

 みたいな文才もある人でした。

 

 

とにかく、みんなから好かれる、

控えめな、かわいらしいおばあちゃんだったんです。

 

 

でもね、実はすごい苦労していて、

 

父は養子にきたから、母の実の母ってことで、

おばあちゃんは 

三人子供を産んでたんですが、

まだ戦争中で栄養がいまいちだったためか、

一番上と二番目の子供、5歳、4歳くらいのかわいい盛りの子供を

 あいついで、はしか、で亡くしてしまいます😢

生き残ったのが、私の母です。

 

 

 

祖母はバスガイドをしていたんですが、

かなり美人だったため、

祖父に見初められて、祖父は実は二度目の結婚で

前妻との間に子供までいたのを隠されていて、

そのまま、結婚しちゃったらしいです。

(騙されたってよくいってました(^^;))

 

 

おばあちゃんの実家は裕福だったのに、

結婚に反対された家から勘当されるみたいになって、

おじいちゃんは警察官になったり、

自動車教習所の教官になったり、

とにかく、なにやってんのか、よくわかんない人で

弟がその経歴をきいて、(だいたい隠し子がいてそれを秘密に

したまま結婚するてーーー)

「破天荒じじいやん」って笑ってましたけど、

 

 

そんな祖父にふりまわされつつ、

祖母は文房具のお店をひらくんですね。

そのころの家は小学校が目の前だっため、

絶対はやると思ったらしいです。 

 

 

すると、そのお店は繁盛したんですが、

家が川のそばだったので、

二回も洪水で水につかって、

 そりゃあ、大変な被害だったらしいです。

 まだ覚えていますが、

古い家の、ここまで水がきた、って壁に

ちゃんと跡が残ってましたね。

 

 

そして、夫であるおじいちゃんは50歳くらいで

ガンになって、亡くなってしまい、

それからは、まだ若い結婚前の母と二人で

生活してきたのです。

母は結局地元に帰ってくるのですが、

最初、神戸に就職したとき、それはそれは

さみしかったっていってました。

 

 

まあ、母が父を養子にむかえてからも

気難しい父にすっごい気をつかったのは

目にみえていて、

もう、苦労ばっかりしてきたんだなーって

思うんですが、

 

 

そういうの、全然感じさせない

ほんと、穏やかなかわいらしいおばあちゃんだったんです。

 

 

まあ一緒に住んでいたから

数えきれないくらい思い出はあるんですが、

 

 

一番強烈に覚えていることは、

 

自分が高校生くらいのとき、

 

 

なんかひどい言葉を祖母に投げかけたのは覚えてるんです。

でもなんて言ったかとかはまったく覚えてないんですが、

 

 

そのとき、祖母が黙って、何も言わず、思いっきり

私をビンタしたんですね。

ビンタってわかりますかね? 

平手打ちのことなんですけど(笑)

 

 

そのときの痛さというか、迫力が、もう半端なくて、

驚きのあまり、涙もでないくらいでした。。。。

 母からも父からもだれからも

あんなに強く叩かれたことはなかった。

 

 

祖母の、芯の強さが、もう、あれ一発でみえました。 

あれ、一発で祖母が どれだけ強くて愛情深くて、

私たち家族に対して、そして、生きることに本気だったのか。

全部、伝わってきました。

 

 

だから、亡くなった今でも

 あのとき、自分の手も死ぬほど痛かっただろうに、

 

あんなに愛情いっぱいこめてたたいてくれて

ありがとう、って

 ものすごい感謝の気持ち、でいっぱいです。

 

叩いてくれて、ありがとう、って変だけどさ。。。(笑)

 

 

私は子供を叩いたこととかないし、(反抗期とかなかったし)

世の中にあふれる虐待とかは絶対許せないけれども、

 

 

ビンタが絶対いけない、とか、そういうの、

ちょっと違うのかな、って思うんですよ。

 

 

私が中学生のころなんて、

教師はビンタとか普通にしてましたけど、

それは、虐待とか暴力とかではないと、

理解していましたし、親に言ったりもしなかった。

そんな何発も殴るとかじゃなかったし。

まあ、怪我したとかなら、話は変わってくるけれど。

 

 

今ではたった一発でも、たちまち問題になるような行為として

とらえられているかもしれないけれど、

周りもみんな、自分が悪いことしたから、

しょうがない、みたいな感じだった。。。。

 

 

 

祖母にビンタされたのは、

たった一回だったけど、

絶対忘れない。

 

 

私のことがどうでもよかったり、

大切じゃなかったり、心配じゃなかったら、

あんなふうに愛情をこめて

叩くなんてできなかっただろう。

 

 

だから、その思い出を

ずっと大切に生きてゆきます。

 

 

ありがとう

おばあちゃん♡

 

 いつだって、天国から見ててくれるよね♪

 

 

 

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 ☆最後のお花見での、母と祖母。編み物も得意だったので、来ているお洋服は祖母が編んだものです(笑)

 

 

母は祖母を家で看取りました。病院を嫌がったので、祖母は実の娘である母に見守られて、眠るようにいつのまにか亡くなって、ほんと、幸せな最後でした。

亡くなってからすぐ救急車は呼びましたが、家で亡くなったということで、あとから警察に調べられたりして、母は大変でしたが、

死に顔もめちゃくちゃきれいで、すっきりして、みんな、よかったね、よかったね、って、大往生できて、よかったね、っていってくれました。

 

 

私も延命とかせず、できるなら、祖母のように、自然に死んでゆくのが理想ですが、、、、

どうなることか、、、、、(^^;)

 

 

 

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令和元年自宅二階にて撮影♪

 

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いつも読んでくださっている方、

お星さまつけてくださる方、

ありがとうございます♡♡♡